動画から真実を知る プロパガンダの罠

NHK、朝日、読売、、、、、大手メディア、教科書までも、真実が語られていないのが現状です。戦争・紛争にはプロパガンダの法則があります。 ①経済的に得た(得る)利益を隠す。②歴史を隠ぺいする(経緯も隠す。)③植民地化した地域の住民たちを分裂させ、その事を隠す。④攻撃する国を悪者にし、こちらを正当化する。⑤世論(マスメディア)を独占し、討論をさせない様に異なる利害、異なる説を知ろうとさせない。  ミッシェル・コロン
 
 

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ロンダリング・イン・パナマ

パナマ漏洩 Moon of Alabama 要約
マネーロンダリングはマフィア・各国政府裏組織は日常
途方もない恐喝の可能性を生み出したバナマ文書の選択的漏洩

パナマの法律事務所からのデータ漏洩は実に興味深い。多数の金持ち、政治家連中はパナマのそのような企業が提供するダミー会社に金を隠している。ところがそのようなデータのいくつかはNATOが支援している報道機関やアメリカ政府が資金提供している。非政府組織 への漏洩 は、アメリカ帝国が嫌悪している一部の人々を中傷する下手な取り組みに過ぎない。あれやこれやの要求に応じるのと引き換えに、ある種のデータ公表しないという巨大な恐喝の好機にもなる。

漏洩したデータには、約214,000のダミー会社と、14,000人のモサク・フォンセカの顧客があると、ドイツの新聞は主張する。確実に多数の不祥事がそこに隠されている。一体何人のアメリカ上院議員がそのような企業に関与しているだろう? どの欧州連合政治家が? どのような巨大ウオール街銀行やヘッジ・ファンドがパナマに隠れているのだろう?

 ドイツの新聞は、既知の犯罪人や、アメリカが嫌っている人々や組織のリストを作成し、それを漏洩したデータベースと照合した。結果は、モサク・フォンセカ・データ中で、触れられてもいないロシアのプーチン大統領を中傷するいつもの企み、アメリカから大いに嫌悪されているサッカー協会FIFAの様々な人々の非難、さほど重要ではない他の悪漢連中について多少言及する類だ。

アメリカ人についての話は皆無で、重要なNATO政治家についても無い。これまでのところ高位の政治家"犠牲者" は、妻とともに、ダミー会社の一つを所有していた、見当違いのアイスランド首相、シグムンドゥル・ダヴィード・グンラウグソン。この会社が持っていた金が非合法だったという証拠は無い。

漏洩した"データから極めて厳選されたデータだけを公表するのには狙いが二つある。

1 プーチン大統領や アサドと関連しているだけで、様々な"帝国の敵"を中傷すること 2 データベースの中では触れられているが、まだ公開されていない他の重要な人々に、アメリカあるいは、その"お仲間マスコミ"が、いつでも、連中の汚い資金洗浄を広く暴露できるのを知らしめることだ。そこで、これは完璧な恐喝の道具となる。

商業マスコミによる、このモサク・フォンセカ情報の選別は、欧米政府の狙いにぴったり沿ったものだ。巨大欧米企業や欧米の億万長者 - 主要顧客がモサク・フォンセカを使っていたという記述は皆無だ。しかも、ガーディアンは素早く、“漏洩した資料の大半は公にされないままだ”と請け合った。

一体何を期待されるだろう? 漏洩は、アメリカのセンター・フォー・パブリック・インテグリティが資金提供し、組織した壮大ながらも、ばかばかしい名称の“国際調査報道ジャーナリスト連合”なるものが管理している。彼らの資金提供者には下記もある。

フォード財団
カーネギー基金
ロックフェラー・ファミリー基金
W K ケロッグ財団
オープン・ソサエティー財団(ソロス)

パナマにおけるマネーロンダリング事件 モサック・フォンセカ 【NET TV ニュース】

『異見自在』スペシャル対談 ザ ヤクザ

4月2日 発行 The Economist でも分かるように、 西側とされるメディアに一斉に指示される訳です。
「THE WORLD IF」 「The Economist」の追求サイトから  パナマ運河は元々、ニカラグアの建設を頓挫させ膨大な 建設費でパナマ運河を完成させた推移がある訳です。
そして、奴らの反勢力がこの元々運河を通させやすい ニカラグアの建設再燃の封じ込めもあるのです。

 
2016.4.8

 

 

 

 

 

 

 
 

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フロンティア・スピリッツとは侵略戦争

アメリカ戦争史  
  • 1609年-1613年のポウハタン戦争。バージニア植民者は、アメリカ先住民であるポウハタンインディアンとの和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンから領土を奪った。
  • 1622年、1622年のポウハタン戦争。バージニア植民者は、アメリカインディアンポウハタン族との和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンの領土を奪った。
  • 1637年、ピクォート戦争。マサチューセッツ植民者は、アメリカインディアンピクォート族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1643年-1645年、キーフツ戦争。ニューヨーク植民者は、アメリカインディアンレナペ族との和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンから領土を奪った。
  • 1644年-1646年、1644年-1644年のポウハタン戦争。バージニア植民者は、アメリカインディアンポウハタン族との和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンから領土を奪った。
  • 1659年-1663年、エスパス戦争。ニューヨーク植民者は、アメリカインディアンエスパス族との和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンから領土を奪った。
  • 1675年-1676年、フィリップ王戦争。マサチューセッツ植民者、コネチカット植民者は、アメリカインディアンポダンク族、ニップマック族との和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンから領土を奪った。
  • 1675年-1676年、ベーコン戦争。バージニア植民者は、アメリカインディアンサスケハナ族との和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンから領土を奪った。
  • 1680年、プエブロ戦争。ニューメキシコ植民は、アメリカインディアンプエブロ族との和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンから領土を奪った。
  • 1711年-1715年、タスカローラ戦争。ノースカロライナ植民者は、アメリカインディアンタスカローラ族との和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンから領土を奪った。
  • 1715年-1716年、ヤマシー戦争。ジョージア植民者、フロリダ植民者は、アメリカインディアンヤマシー族との和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンから領土を奪った。
  • 1716年-1729年、ナチェス戦争。アラバマ植民者、ミシシッピ植民者、ルイジアナ植民者は、アメリカインディアンナチェス族との和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンから領土を奪った。
  • 1734年、チカソー戦争。ルイジアナ植民者は、アメリカインディアンチカソー族との和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンから領土を奪った。
  • 1759年-1761年、チェロキー戦争。バージニア植民者、ノースカロライナ植民者、サウスカロライナ植民者、テネシー植民者、アラバマ植民者は、アメリカインディアンチェロキー族との和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンから領土を奪った。
  • 1763年-1766年、ポンティアック戦争。オハイオ植民者、インディアナ植民者、ミシガン植民者、イリノイ植民者、ウィスコンシン植民者は、アメリカインディアンオタワ族、オジブワ族、ポタワトミ族、ショーニー族、ワイアンドット族、キカプー族、ピアンカショー族、ワー族、マイアミ族、マスコーテン族、レナペ族、ミンゴ族との和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンから領土を奪った。
  • 1773年-1774年、ダンモア戦争。オハイオ植民者は、アメリカインディアンイロコイ族との和平協定を破棄して戦争し、植民者はインディアンから領土を奪った
  • 1775年4月-1783年11月、アメリカ独立戦争。イギリスのアメリカ大陸植民地は、宗主国イギリスに対して独立戦争を戦い独立を実現した。
  • 1776年-1794年、チカマウガ戦争。アメリカ軍(ワシントン大統領)は、バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア、ケンタッキー、テネシーのアメリカインディアンチカマウガ族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1785年-1795年、ノースウエスト戦争。アメリカ軍(ワシントン大統領)は、ケンタッキー、オハイオ、インディアナ、ミシガン、イリノイ、ウィスコンシンのアメリカインディアンオタワ族、オジブワ族、ポタワトミ族、ショーニー族、ワイアンドット族、キカプー族、ピアンカショー族、ワー族、ウォバシュ族、カスカスキア族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1811年-1813年、テカムセの戦争。アメリカ軍(マジソン大統領・民主共和党)は、インディアナ、ミシガンのアメリカインディアンショーニー族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1812年-1814年、米英戦争。イギリス政府はアメリカを再び植民地化しようとして、イギリス軍がアメリカに侵攻したが、アメリカ軍はイギリス軍を撃退して独立を維持した。
  • 1813年、ピオリア戦争。アメリカ軍(マジソン大統領・民主共和党)は、イリノイのアメリカインディアンポタワトミ族、キカプー族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1813年-1814年、クリーク戦争。アメリカ軍(マジソン大統領・民主共和党)は、ジョージア、アラバマのアメリカインディアンクリーク族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1816年-1818年、1616年-1818年のセミノール戦争。アメリカ軍(モンロー大統領・民主共和党)は、フロリダのアメリカインディアンセミノール族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1827年、ウインネバーゴ戦争。アメリカ軍(アダムス大統領・連邦党)は、ウィスコンシンのアメリカインディアンポタワトミ族、スー族、ソーク族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1832年、ブラック・ホーク戦争。アメリカ軍(ジャクソン大統領・民主共和党)は、ミシガン、イリノイのアメリカインディアンソーク族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1835年-1842年、1835年-1842年のセミノール戦争。アメリカ軍(ジャクソン大統領・民主共和党、ハリソン大統領・ホイッグ党)は、フロリダのアメリカインディアンセミノール族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1837年、オーセージ戦争。アメリカ軍(ヴァン・ビューレン大統領・民主共和党)は、ミズーリ、カンサス、オクラホマ、ネブラスカのアメリカインディアンオーセージ族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1846年-1848年、米墨戦争。アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は、当時メキシコ領だった、現在のアリゾナ、ユタ、ネバダ、カリフォルニアの全地域、ニューメキシコ、コロラド、ワイオミングの一部の地域の領有を目的としてメキシコに宣戦布告した。アメリカ軍(ポーク大統領・民主党)は、メキシコを侵略し、アリゾナ、ユタ、ネバダ、カリフォルニアの全地域、ニューメキシコ、コロラド、ワイオミングの一部の地域を併合した。
  • 1848年-1855年、カイユース戦争。アメリカ軍(ポーク大統領・民主党、タイラー大統領・ホイッグ党、フィルモア大統領・ホイッグ党、ピアース大統領・民主党)は、オレゴン、ワシントンのアメリカインディアンカイユース族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1855年-1856年、ローグリバー戦争。アメリカ軍(ピアース大統領・民主党)は、オレゴンのアメリカインディアンローグ族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1855年-1858年、1855年-1858年のセミノール戦争。アメリカ軍(ピアース大統領・民主党)は、フロリダのアメリカインディアンセミノール族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1855年6月-1858年9月、ヤカマ戦争。アメリカ軍(ピアース大統領・民主党)は、ワシントンのアメリカインディアンヤカマ族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1858年5月、スポーカン・クーダレン・パルース戦争。アメリカ軍(ピアース大統領・民主党)は、ワシントンのアメリカインディアンスポーカン族、クーダレン族、パルース族、パイユート族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1860年-1865年、カリフォルニア戦争。アメリカ軍(歴代大統領は、ブキャナン・民主党、リンカーン・共和党、ジョンソン・共和党)は、カリフォルニアのアメリカインディアンウィヨット族、ユーロク族、トロワ族、ノムラキ族、チマリコ族、ツナングー族、ホワイカット族、カラク族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1861年-1864年、ナバホ戦争。アメリカ軍(ピアース大統領・民主党、リンカーン大統領・共和党)は、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナのアメリカインディアンナバホ族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1861年4月-1865年4月、南北戦争。バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア、フロリダ、アラバマ、テネシー、アーカンソー、ミシシッピ、ルイジアナ、テキサス(民主党の州知事・民主党が多数派の州議会)は奴隷制度の廃止に反対して、アメリカ合衆国からの離脱とアメリカ南部連合の樹立を宣言した。アメリカ合衆国(リンカーン大統領・共和党)は、アメリカ合衆国からのアメリカ南部連合の離脱を阻止するために、アメリカ南部連合と南北戦争を開始した。アメリカ合衆国軍がアメリカ南部連合軍を軍事力で制圧し、アメリカ南部連合はアメリカ合衆国に降伏し、南北戦争は終結した。
  • 1862年8月、スー戦争。アメリカ軍(リンカーン大統領・共和党)は、ミネソタ、ノースダコタ、サウスダコタのアメリカインディアンスー族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1863年-1865年、コロラド戦争。アメリカ軍(リンカーン大統領・共和党、ジョンソン大統領・民主党)は、コロラドのアメリカインディアンコマンチ族、カイオワ族、アラパホー族、シャイアン族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1863年1月-1886年9月、アパッチ戦争。アメリカ軍(歴代大統領は、リンカーン・共和党、ジョンソン・民主党、ヘイズ・共和党、ガーフィールド・共和党、アーサー・共和党、クリーブランド・民主党)は、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナのアメリカインディアンアパッチ族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1864年-1869年、ハラパイ戦争。アメリカ軍(歴代大統領は、リンカーン・共和党、ジョンソン・民主党、グラント・共和党)は、アリゾナのアメリカインディアンハラパイ族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1866年11月-1868年11月、レッドクラウド戦争。アメリカ軍(ジョンソン大統領・民主党)は、ワイオミング、モンタナのアメリカインディアンスー族、シャイアン族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンの居住地域を保証することになった。
  • 1867年-1875年、コマンチ戦争。アメリカ軍(ジョンソン大統領・民主党、グラント大統領・共和党)は、コロラド、オクラホマ、カンサス、テキサス、ニューメキシコのアメリカインディアンコマンチ族、カイオワ族、アラパホー族、シャイアン族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1872年11月-1873年6月 モードック戦争 -- アメリカ軍(グラント大統領・共和党)は、オレゴン、カリフォルニアのアメリカインディアンモードック族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1874年6月-1875年6月、レッドリバー戦争。アメリカ軍(グラント大統領・共和党)は、テキサスのアメリカインディアンコマンチ族、シャイアン族、カイオワ族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1876年-1877年、ブラックヒルズ戦争。アメリカ軍(グラント大統領・共和党)は、ノースダコタ、サウスダコタのアメリカインディアンスー族との和平協定を破棄してインディアンから領土を奪った。
  • 1877年、ネ・ペルセ戦争。アメリカ軍(ヘイズ大統領・共和党)は、オレゴン、アイダホ、ワイオミング、モンタナのアメリカインディアンネ・ペルセ族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1878年、バンノック戦争。アメリカ軍(ヘイズ大統領・共和党)は、アイダホ、ワイオミングのアメリカインディアンバンノック族との和平協定を破棄して戦争し、インディアンから領土を奪った。
  • 1878年-1879年、シャイアン戦争。アメリカ軍(ヘイズ大統領・共和党)は、オクラホマのアメリカインディアンシャイアン族との和平協定を破棄してインディアンから領土を奪った。
  • 1879年5月-1879年9月、シーピーター戦争。アメリカ軍(ヘイズ大統領・共和党)は、アイダホのアメリカインディアン西ショーショーニー族との和平協定を破棄してインディアンから領土を奪った。
  • 1879年9月-1880年11月、ユテ戦争。アメリカ軍(ヘイズ大統領・共和党)は、ユタ、コロラド、ワイオミングのアメリカインディアンユテ族との和平協定を破棄してインディアンから領土を奪った。
  • 1890年11月-1890年1月、パインリッジ戦争。アメリカ軍(ヘイズ大統領・共和党)は、サウスダコタのアメリカインディアンスー族との和平協定を破棄してインディアンから領土を奪った。
  • 1898年4月-1898年8月、米西戦争。アメリカ軍(マッキンリー大統領・共和党)は、スペイン軍と戦争した。戦争の結果、アメリカはプエルトリコ、フィリピン、グアムを領土として獲得し、キューバを保護国とした。
  • 1899年2月-1902年4月、米比戦争。アメリカ軍(マッキンリー大統領・共和党)は、独立戦争を開始したフィリピン武装民兵に対して、独立を阻止するための武力行使を開始した。アメリカ軍は1902年4月までにフィリピン武装民兵を制圧して戦争は終結した
  • 1900年7月-1901年9月、義和団の乱への派兵。アメリカ軍(マッキンリー大統領・共和党)は、日本軍、ロシア軍、イギリス軍、フランス軍、イタリア軍、ドイツ軍、オーストリア・ハンガリー軍とともに清に侵攻(義和団事件または北清事変)し、清と和平条約を締約し清から軍を撤退した。

 

  • 1902年、1902年のコロンビア領パナマ侵攻。アメリカ軍(ルーズベルト大統領・共和党)は、内戦中のコロンビアの反政府武装民兵を制圧するために、コロンビア領のパナマに侵攻した。
  • 1906年-1909年、1906年-1909年のキューバ侵攻。アメリカ軍(ルーズベルト大統領・共和党)は、キューバの反政府武装民兵の制圧を目的としてキューバに侵攻し、1909年に撤退するまでキューバを占領統治した。
  • 1912年7月-1933年1月、1912年-1933年のニカラグア侵攻。アメリカ軍(タフト大統領・共和党)は、アメリカに協力的な政権を樹立するために、1912年にニカラグアに侵攻し占領した。1933年までの占領統治期間に、アメリカ政府(歴代大統領は、タフト・共和党、ウイルソン・民主党、ハーディング・共和党、クーリッジ・共和党、フーバー・共和党、ルーズベルト・民主党)は、ニカラグアの政治・経済制度をアメリカに協力的な制度に変革し、反政府武装民兵を武力で制圧した。1933年、ニカラグア独立運動のアメリカ軍撤退の要求により、アメリカ軍(ルーズベルト大統領・民主党)は撤退した。
  • 1914年4月-1914年11月、1914年のメキシコ侵攻。アメリカ軍(ウイルソン大統領・民主党)は、メキシコ革命戦争時に、アメリカ軍兵士がメキシコ政府軍に拘束されたことを経緯として、革命勢力を支持しメキシコ政府の打倒に協力する目的で、タンピコ港を攻撃し7か月間占領した。
  • 1915年7月-1934年8月、1915年-1934年のハイチ侵攻。アメリカ軍(ウイルソン大統領・民主党)は、アメリカに協力的な政権を樹立するために、1915年7月にハイチに侵攻し占領した。1935年8月までの占領統治期間に、アメリカ政府(歴代大統領は、ウイルソン・民主党、ハーディング・共和党、クーリッジ・共和党、フーバー・共和党、ルーズベルト・民主党)は、ハイチの政治・経済制度をアメリカに協力的な制度に変革した。1935年8月、ハイチ独立運動のアメリカ軍撤退の要求により、アメリカ軍(ルーズベルト大統領・民主党)は撤退した。
  • 1916年3月-1917年1月、1916年-1917年のメキシコ侵攻。アメリカ軍(ウイルソン大統領・民主党)は、メキシコ革命戦争時に、革命の指導者の一人であるパンチョ・ビリャの武装民兵がアメリカの民間人を殺害し、パンチョ・ビリャの武装民兵がニューメキシコ州に侵攻し民間人を殺害したことに対して、パンチョ・ビリャを討伐し武装民兵を掃討する目的でメキシコに侵攻したが、ビリャりの討伐も武装民兵の掃討も実現できずに撤退した。
  • 1916年5月-1924年、1916年-1924年のドミニカ共和国侵攻。アメリカ軍(ウイルソン大統領・民主党)は、アメリカに協力的な政権を樹立するために、1916年5月にドミニカ共和国に侵攻し占領した。1924年までの占領統治期間に、アメリカ政府(ウイルソン大統領・民主党、ハーディング大統領・共和党、クーリッジ大統領・共和党)は、ドミニカ共和国の政治・経済制度をアメリカに協力的な制度に変革した。1924年、ドミニカ共和国は選挙で選出された政権を樹立し、アメリカ軍(クーリッジ大統領・共和党)は撤退した。
  • 1917年4月-1918年11月、第一次世界大戦の米独戦争。アメリカは1914年7月の第一次世界大戦開戦以後も、議会と国民の反対により中立を継続し、アメリカの第一次世界大戦への関与はイギリス、フランスに対する武器・物資の供給に限定していたが、ドイツ軍がイギリス、フランスへの武器・物資を輸送するアメリカの貨物船を攻撃したことに対し、アメリカ議会(上院は民主党・下院は共和党が多数派)は、ドイツに対して宣戦布告し、アメリカ軍(ウイルソン大統領・民主党)は、第一次世界大戦のヨーロッパ戦線に参戦した。1918年9月、ブルガリアは協商国に降伏、1918年10月、オスマン帝国が協商国に降伏、1918年11月、ドイツ、オーストリア・ハンガリーが協商国に降伏し、第一次世界大戦は終結し、アメリカ軍(ウイルソン大統領・民主党)は、ヨーロッパ戦線から撤退した。
  • 1918年8月-1919年8月、シベリア出兵。アメリカ政府(ウイルソン大統領・民主党)は、日本、イギリス、フランスとともに、ロシア革命で成立した共産主義政権がドイツと和平協定を成立させて第一次世界大戦から離脱し、ドイツが西部戦線の戦力を増強したことに対して、非共産主義勢力の政権を樹立し、ロシアとドイツの東部戦線を復活させることを目的として、ロシアのシベリアに派兵した。1919年にドイツで革命が発生しドイツと連合国との戦争が終結し、シベリア出兵の目的も消失したので、アメリカ軍(ウイルソン大統領・民主党)は、イギリス軍、フランス軍とともにロシアのシベリアから撤退した。
  • 1941年12月-1945年8月、太平洋戦争第二次世界大戦の米日戦争)。アメリカは1939年9月の第二次世界大戦開戦以後も、議会と国民の反対により中立を継続し、アメリカの第二次世界大戦への関与はイギリス、ソ連に対する武器・物資の供給に限定していたが、日本がアメリカ・ハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は日本に宣戦布告し、アメリカ軍は第二次世界大戦の太平洋戦線に参戦した。1945年2月-8月、アメリカ軍(ルーズベルト大統領・民主党、トルーマン大統領・民主党)は、日本の東京、大阪、横浜、名古屋、その他の都市を焼夷弾で攻撃し、広島と長崎を原子爆弾で攻撃し、非戦闘員の市民を大量に殺害した。1945年8月、日本政府は連合国に降伏し、日本とアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、オーストラリア、中国、ソ連、その他の連合国との戦争、第二次世界大戦のアジア太平洋地域の戦争が終了した。
  • 1941年12月-1945年5月、第二次世界大戦の米独戦争。日本がアメリカ・ハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は日本に宣戦布告した結果、ドイツはアメリカに宣戦布告、アメリカ議会もドイツに宣戦布告し、アメリカ軍は第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に参戦した。1945年2月-5月、アメリカ軍(ルーズベルト大統領・民主党、トルーマン大統領・民主党)は、ドイツのドレスデン、その他の都市に対する空爆・焼夷弾攻撃で非戦闘員の市民を大量に殺害した。1945年5月、ドイツは連合国に降伏し、ドイツとソ連、アメリカ、イギリス、フランス、その他の連合国との戦争、第二次世界大戦のヨーロッパ地域の戦争が終了した。
  • 1941年12月-1943年9月、第二次世界大戦の米伊戦争。日本がアメリカ・ハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は日本に宣戦布告した結果、イタリアはアメリカに宣戦布告、アメリカ議会もイタリアに宣戦布告し、アメリカ軍は第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に参戦した。1943年9月、イタリアは国民がファシスト等政権を打倒して臨時政府を樹立して連合国に降伏し、イタリアとアメリカ、イギリス、フランス、ユーゴスラビア、その他の連合国との戦争が終了した。イタリア北部はドイツ軍とドイツ軍が支援するファシスト党の支配下にあり、イタリアは連合国に参加してドイツに宣戦布告した。
  • 1950年6月-1953年7月、朝鮮戦争。アメリカ軍(トルーマン大統領・民主党)は、イギリス軍、フランス軍、その他の連合国軍とともに、韓国に侵攻した北朝鮮軍を韓国から排除することを目的として、朝鮮戦争に介入し朝鮮半島に侵攻した。朝鮮半島の戦闘は韓国軍・連合国軍と北朝鮮軍・中国軍の占領地の争奪の繰り返しで消耗戦になった。1953年7月に韓国政府アメリカ政府(アイゼンハワー大統領・共和党)、イギリス政府、フランス政府、その他の連合国政府、北朝鮮政府、中国政府の停戦協定が成立し、朝鮮戦争は“停戦”した(終結してはいない)。
  • 1958年7月-1958年10月、1958年のレバノン派兵。アメリカ政府(アイゼンハワー大統領・共和党)は、西欧諸国との協力関係を求めるシャムーン大統領とキリスト教徒と、アラブ諸国との協力関係を求めるラシドカラミ主張とイスラム教徒の対立紛争を収束するために治安維持部隊を派兵した。
  • 1961年4月、キューバ侵攻・ピッグス湾事件。アメリカ政府(ケネディ大統領・民主党)は、キューバのカストロ政権の打倒と、アメリカに協力的な政権の樹立を目的に、亡命キューバ人に武器と資金を供給し、キューバへの軍事侵攻をアメリカ軍が背後から支援した。
  • 1961年11月-1973年3月、ベトナム戦争。アメリカ政府(ケネディ大統領・民主党)は、1961年11月、南ベトナムとアメリカに協力的な南ベトナムのゴ・ディン・ディエム政権を、北ベトナムと南ベトナム解放戦線から保護し、南ベトナムの共産主義体制化の抑止と、ベトナムの共産主義体制化によりベトナムを基点に東南アジア諸国が共産主義体制化することを抑止するために、南ベトナムに空軍と軍事顧問団を派遣し、1962年2月、ベトナムに軍事援助司令部を設置し、ベトナム戦争へのアメリカの軍事介入を開始し、南ベトナム解放戦線とその支配地域に対して通常爆弾・焼夷弾・枯葉剤などを使用した攻撃空爆を命じた。1964年8月、アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は、北ベトナムに対する宣戦布告を可決し、アメリカ軍は北ベトナムの海軍基地に対する攻撃を開始した。アメリカ軍(ジョンソン大統領・民主党)は、1965年2月に北ベトナムに対する空爆を開始し、1965年3月に南ベトナムに対する陸軍・海兵隊の投入を開始し、アメリカ軍(ジョンソン大統領・民主党、ニクソン大統領・共和党)は北ベトナムの都市に対する焼夷弾攻撃、ジャングルへの枯葉剤散布で非戦闘員の市民を大量に殺害し、停戦協定成立の1973年1月まで継続して行った。1973年1月、アメリカ政府(ニクソン大統領・共和党)と、北ベトナム政府、南ベトナム政府、南ベトナム民族解放戦線との和平協定が成立した。アメリカ軍は協定成立直後から撤退を開始し、1973年3月にベトナムから撤退を完了した。
  • 1965年4月 -1966年7月、1965年-1966年のドミニカ共和国派兵。アメリカ軍(ジョンソン大統領・民主党)は、内戦中のドミニカ共和国に、ドミニカ共和国の治安維持と国民の保護を目的として侵攻した。
  • 1970年4月-1970年6月、カンボジア侵攻。アメリカ軍(ニクソン大統領・共和党)は、南ベトナム民族解放戦線、北ベトナム軍の補給路を遮断するためカンボジアに侵攻した。
  • 1971年2月-1970年6月、ラオス侵攻。アメリカ軍(ニクソン大統領・共和党)は、南ベトナム民族解放戦線、北ベトナム軍の補給路を遮断するためラオスに侵攻した。
  • 1982年8月-1984年2月、1982年-1984年のレバノン派兵。アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、イギリス軍、フランス軍とともに、レバノン内戦中にレバノン政府がPLOを国外退去させた後のパレスチナ難民の保護を目的として、レバノンに治安維持部隊を派遣した。1983年12月、アメリカ軍は、レバノンに治安維持部隊として展開しているアメリカ軍の航空機がシリア軍に攻撃・撃墜されたことに対して、レバノンに侵攻しているシリア軍基地を攻撃し破壊した。ヒズボラのアメリカ大使館爆破事件、アメリカ軍北爆破事件で国民の撤退要求が高まり、アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、レバノンから撤退した。
  • 1983年9月-1984年4月、1983年-1984年のニカラグア空爆。アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、アメリカに協力的なソモサ親子の独裁政権を打倒したサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)の政権を打倒し、アメリカに協力的な政権を再び樹立するために、民間武装勢力コントラに資金・武器を支援して、サンディニスタ民族解放戦線の政府軍との内戦を支援し操るとともに、アメリカ軍が直接軍事介入してニカラグアを空爆した。
  • 1983年10月、グレナダ侵攻。アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、グレナダに侵攻し、ソ連、キューバに協力的な軍事政権を打倒し、アメリカに協力的な政権を樹立し、グレナダ軍を武装解除した。
  • 1986年4月、リビア空爆。アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、リビアがアメリカの旅客機を爆破したことに対する制裁でリビアを空爆した。
  • 1988年7月、イラン航空機撃墜事件。アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)の海軍艦船ビンセンスはペルシャ湾を航行中に、イランからアラブ首長国へ飛行中だったイラン航空の旅客機を軍用機と誤認してミサイルで攻撃して撃墜し、乗客と乗員290人が死亡した
  • 1989年12月、1989年のパナマ侵攻。アメリカ軍(ブッシュ大統領・共和党)は、パナマに侵攻し、ノリエガ政権を打倒し、パナマ軍を武装解除した。アメリカ政府はノリエガ将軍の身柄を拘束し、麻薬密輸の罪でアメリカ国内で訴追した。裁判所はノリエガ被告人に懲役40年の判決(後に30年に減刑された)を出した。その後ノリエガは2007年9月9日に釈放されたがフランスでマネーロンダリングの容疑で禁錮10年を言い渡されて収監2011年12月11日にパナマへ送還されて22年ぶりに帰国、パナマの刑務所に収監された
  • 1991年1月-1991年3月、湾岸戦争。アメリカ軍(ブッシュ大統領・共和党)は、イギリス軍、フランス軍、他の多国籍軍とともに、クウェートを占領しているイラク軍をクウェートから排除することを目的としてクウェートに侵攻し、湾岸戦争を開始した。アメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、その他の多国籍軍はクウェートからイラク軍を排除し、アメリカ政府、イギリス政府、フランス政府、その他の多国籍軍の政府とイラク政府との停戦協定が成立し、湾岸戦争は停戦した。
  • 1992年12月-1994年3月、ソマリア派兵。アメリカ軍(ブッシュ大統領・共和党)は、内戦中のソマリアの治安維持と国民の保護を目的にソマリアに侵攻した。アメリカ軍は部族紛争に対応できず、ソマリアの治安維持と国民の保護を目的を達成できず、アメリカ軍兵士が武装民兵に殺害されたので、アメリカ軍(クリントン大統領・民主党)は、ソマリアから撤退した。
  • 1993年1月、イラク空爆。アメリカ軍(ブッシュ大統領・共和党)は、湾岸戦争の停戦条件で規定されたイラクの大量破壊兵器廃棄義務に対する違反行為の疑いを理由として空爆を行った。
  • 1993年6月、イラク空爆。アメリカ軍(クリントン大統領・民主党)は、湾岸戦争の停戦条件で規定されたイラクの大量破壊兵器廃棄義務に対する違反行為の疑いを理由として空爆を行った。
  • 1994年9月-1995年3月、1994年-1995年のハイチ派兵。アメリカ軍(クリントン大統領・民主党)は、内戦中のハイチ内戦の治安維持と国民の保護を目的としてハイチに侵攻した。
  • 1995年8月-1995年9月、ボスニア・ヘルツェゴビナ空爆。アメリカ軍(クリントン大統領・民主党)は、イギリス軍、フランス軍、その他のNATO加盟国軍は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中のボスニア・ヘルツェゴビナのクロアチア人、イスラム教徒をセルビア軍とセルビア人武装民兵の武力攻撃・ジェノサイドから保護する目的で、ボスニア・ヘルツェゴビナを空爆した。
  • 1996年9月、イラク空爆。アメリカ軍(クリントン大統領・民主党)は、湾岸戦争の停戦条件で規定されたイラクの大量破壊兵器廃棄義務に対する違反行為の疑いと、イラク政府軍のクルド人自治区への武力攻撃に対する制裁を理由として空爆を行った。
  • 1998年8月、スーダン空爆。アメリカ政府(クリントン大統領・民主党)は、ケニア、タンザニアのアメリカ大使館がアル・カーイダにより爆破されたことに対して、スーダンがアル・カーイダに訓練基地を提供していると認識し、アル・カーイダの訓練基地を破壊するという理由で、スーダンを空爆した。スーダン政府はアメリカ大使館爆破の時点以前にアル・カーイダを国外に退去させていたので、アメリカ軍に攻撃された場所はアル・カーイダの訓練基地ではなく医薬品と飲食品を製造する工場だった。
  • 1998年8月、アフガニスタン空爆。アメリカ政府(クリントン大統領・民主党)は、ケニア、タンザニアのアメリカ大使館がアル・カーイダにより爆破されたことに対して、アフガニスタンがアル・カーイダに訓練基地を提供していると認識し、アル・カーイダの訓練基地を破壊するという理由で、アフガニスタンを空爆した。
  • 1998年12月、イラク空爆。アメリカ軍(クリントン大統領・民主党)は、湾岸戦争の停戦条件で規定されたイラクの大量破壊兵器廃棄義務に対する違反行為の疑いを理由として空爆を行った。
  • 1999年3月、コソボ空爆。アメリカ軍(クリントン大統領・民主党)は、コソボ紛争中のセルビアのコソボ自治州のアルバニア人をセルビア軍とセルビア人武装民兵の武力攻撃から保護する目的で、セルビアのコソボ自治州を空爆した。空爆の過程で在セルビアの中国大使館が誤認により攻撃され、大使館員が死傷した。
  • 2001年2月、イラク空爆。アメリカ軍(ブッシュ大統領・共和党)は、湾岸戦争の停戦条件で規定されたイラクの大量破壊兵器廃棄義務に対する違反行為の疑いを理由として空爆を行った。
  • 2001年10月 -(2007年6月現在継続中)、アフガニスタン戦争。アメリカ政府(ブッシュ大統領・共和党)は、アフガニスタンのタリバーン政権がアル・カーイダに訓練基地を提供していると認識し、アル・カーイダの訓練基地を破壊し、タリバーン政権を打倒して、アフガニスタンにアメリカに敵対しない政権を樹立することを目的として、アフガニスタンに軍を侵攻させ、タリバーン政権を打倒した。
  • 2003年3月 -(2007年6月現在継続中)、イラク戦争。アメリカ政府(ブッシュ大統領・共和党)は、イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を開発・配備し、国連の査察に非協力的な態度であり、非軍事的な手段ではイラクの大量破壊兵器を破棄できないと認識し、武力行使でイラクの大量破壊兵器を破棄し、フセイン政権を打倒して、アメリカに敵対的でない政権を樹立することを目的として、イラクに軍を侵攻させ、フセイン政権を打倒した。
  • 2003年8月-2003年9月、リベリア派兵。アメリカ政府(ブッシュ大統領・共和党)は、内戦中のリベリアの治安維持と国民の保護を目的としてリベリアに治安維持軍を派兵した
  • 2003年2月-2003年6月、2003年のハイチ派兵。アメリカ政府(ブッシュ大統領・共和党)は、内戦中のハイチ内戦の治安維持と国民の保護を目的としてハイチに治安維持軍を派兵した。
  • 2007年1月、ソマリア空爆。アメリカ軍(ブッシュ大統領・共和党)は、1998年のケニア、タンザニアの大使館爆破事件の実行者に対する掃討作戦でソマリアを空爆した。
  • 2011年3月 - リビア攻撃。アメリカ軍(オバマ大統領・民主党)は“リビアの民主化支援”を名目にリビアへ巡航ミサイル攻撃を行なっている。

  そして偽旗テロ戦争、アフガン・イラク・シリア・ウクライナと繋がる

  アメリカの戦争犯罪はこちら

 
2016.4.7

 

 

 

 

 

 

 
 

 100

125  最近の偽旗 2016・3

ベルギー連続テロ 

ブリュッセルで地下鉄と空港が爆破された約1時間後、ベルギーの有力テレビ局は監視カメラがその瞬間をとらえた映像と称するものを流したのだが、  

2011年4月のミンスク、地下鉄駅爆発テロ。空港の映像は同年1月のモスクワ、ドモジェドヴォ空港爆破事件 つまり偽物だった。

 
ミンスク、地下鉄駅爆発テロ
モスクワ、ドモジェドヴォ空港爆破事件
  
I S・(ムスリム)の犯行にし、被害者を装っているクライシス アクターで演出されている、これはパリのテロなど、何度となくその手口として使われている。 IS・ISISなどは米ネオコン主導で作られた事は言うまでもない。
       世界は知ってます (hoax=人をかつぐなどの意)
       You Tube 検索 belgium hoax 3万件超えてます
       paris hoax なんと42万件。

米大統領選

Paul Craig Roberts(レーガン政権財務長官補)

安全保障違反のかどで、FBIの捜査を受けながら大統領候補指名に出馬したアメリカ人がこれまでにいただろうか? ヒラリー・クリントンが、易々と責任から逃れられていることが、陰の政府に仕える連中が訴追免除されることを示している。

ヒラリーが陰の政府に仕えていることは、1億5300万ドルの“講演料”、つまり、賄賂、見返りで示されており、CNNやフォックス・ニューズは、ヒラリーが、ウオール街、巨大銀行、アメリカ実業界から金をもらっていると報じている。この金額は、選挙寄付や、クリントン財団への寄付は含まない。

あからさまな腐敗の様相にもかかわらず、ヒラリーが、民主党大統領候補指名で先行している。アメリカの有権者は、政治腐敗か、何であれ起きていることに慣れきっているのだ。スティーブン・レンドマンは、ヒラリーは、民主党と選挙対策幹部に支援され、あおられて、 予備選挙に不正手段で“勝利する”と報じている。

Paul Craig Roberts
2016.4.1

 

 

 

 

 

 

 
 
 

ためいき

大蔵金融研究官であった植草氏が語っている「米・官・業(大企業)」の日本の支配構造を理解しなければならない。米との大戦で大敗し、GHQ占領、講和、と今に至っても権力を振りかざしている米。米軍事基地が世界中に100ヶ国以上の場所にあることもあまり広く知られていません。戦争を事業化して理由をでっち上げ、他国の人を殺し、あの手この手で利益を奪い攻撃している米(米の一部の人間)を黙って見ているしかないのでしょうか。

動画から真実を知る / 真実を探る  webpagewrite TruthSeeker  Ito Shoji 

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