大統領の夫を戦争へと導き、国務長官時代にクーデターや侵略を進めたヒラリーの勝利をAPが宣言
逆風に苦しんでいるヒラリー・クリントンがアメリカ大統領選の民主党候補者選びで勝利したと通信社のAPが6月6日に宣言した。7日に予定されているカリフォルニア州など6州で予備選/党員大会ではクリントンとバーニー・サンダース、どちらが勝利してもおかしくないほど競っていて、結果によってはジョー・バイデン副大統領が登場してくる可能性もあると言われていた。今回の「報道」はカリフォルニアで混乱を起こすなという支配層からのメッセージだと見る人もいる。
クリントンは2001年1月から09年1月まで上院議員、09年1月から13年2月まで国務長官を務めているが、ファースト・レディだった1993年1月から2001年1月にも重要な役割を果たした。大統領だった夫のビル・クリントンは大統領選の段階からスキャンダル攻撃を受け、手足を縛られた状態。弁護費用のために破産寸前だったと言われている。
攻撃の中心にいた人物はメロン財閥のリチャード・メロン・スケイフ。情報機関と緊密な関係にあることで知られ、1993年から97年にかけて反クリントン工作の「アーカンソー・プロジェクト」につぎ込んだ資金は240万ドルだという。スケイフはシンクタンクなどへ多額の寄付をしていることでも有名で、その中にはヘリテージ財団やCSISが含まれている。
親イスラエル派で有名なニュート・ギングリッジ下院議長(当時)のスポンサーだったシカゴの大富豪、ピーター・スミスも反クリントンのキャンペーンに資金を提供していことからもネオコン/シオニストとビル・クリントン大統領との関係が良くなかったことは推測できるが、実際、ビル・クリントン政権は前のジョージ・H・W・ブッシュ政権とは違ってネオコンの影響力が弱く、さまざまな提言を外部から行っていた。
1998年にはユーゴスラビア空爆を支持すると彼女は表明、99年3月にNATO軍は先制攻撃を実行している。オルブライトを国務長官にするように働きかけたのはヒラリー・クリントンだが、ヒラリー自身もユーゴスラビアを攻撃するよう、夫に働きかけていたと伝えられている。
国務長官時代の2011年春にアメリカはリビアやシリアに対する侵略を本格化、その年の10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制はNATO軍の空爆とアル・カイダ系武装集団LIFGを主力とする地上部隊の連係攻撃で倒された。その時にカダフィは惨殺されたが、それをCBSのインタビュー中に知らされたヒラリーは「来た、見た、死んだ」と口にし、喜んでいる。